順 序

    順序の決め方
         いろいろ

50音順

  人が集まれば順序、順番ができる。

  学校の名簿の順序は、大概、姓の“50音順”である。

  ところが、私がしばらくいた両親の田舎は、河田姓と奥野姓が多く、クラスのほとんどは河田と奥野だったので、名簿の順序は生年月日順になっていた。私は3月生まれなので名前を呼ばれるのはいつも一番後だった。

  しばらくして神戸に帰って来た。神戸の学校は、姓50音順なので今度はいつもはじめの方に呼ばれた。それまではいつも最後に呼ばれていたので、授業のはじめの点呼のとき、終わりの方で返事をするという気構えが抜けず、ぼんやりして聞き過ごし、返事を怠って先生に叱られたことがある。


身長順

  学校の順序というと、小学校の体操の授業では、よく身長の高い順に並ばされた。私はもともと背があまり高くない上に、4月生まれの子とは1年の違いがあるので体が小さくて、列の一番後ろに並んだ。


成績順

  順序では忘れられないことがもう一つ。中学校では3年生のとき、高校入試の全校一斉模擬試験が何度かあり、その結果が実名で、成績順にして廊下に張り出された。言うまでもないが私の名前はいつも後ろの方だったので、張り出されている間は学校に行くのが苦になった。

アルファベットとイロハ

   順番では“アルファベット順”というのもある。

   以前、30人ほどの団体旅行のお世話をしたときのこと、航空券を買うために50音順の名簿を作って旅行社に持って行ったところ、「アルファベット順に作り直して持ってきてください」と突っ返されたことがある。

  日本ではそのほか“イロハ順”というのがある。

  これは不便な並べ方である。“イロハニホヘト”まではすぐわかるけれど、それ以後は、イロハ四十七文字をはじめから“イロハニホヘトチリヌルヲ・・”と順番に言っていかないと、どの字がどの字の前になるのか、後ろになるのかわからない。


中国の場合

  先日、中国共産党第19回党大会が終わった。
  新しい政治局委員、中央委員、中央委員候補、中央紀律委員会委員の名簿が発表された。

  中国人の名前は漢字を使っている日本では漢字表記だが、諸外国ではピンイン表記である。ピンイン(拼音)とはアルファベットを使った表音方式である。

  中国では辞書は、ピンインのアルファベット検索である。したがって名簿は漢字表記ではあるが、順序は辞書の方式でピンイン、アルファベット順で発表されるのだろうと考えると、それは間違い。

  実際発表されたもの、たとえば中央委員の名簿は 「丁暁光・・于忠福・・万立駿・・」 となっている。姓をピンインで書けば、「DING ・・ YU ・・ WAN ・・」である。ABC順ではない。

  ではどういう順序かと言えば姓の「画数順」である。

  さすが漢字の国。「画数順」など日本では漢和辞典に使われているくらいで、あまり使われない。


“えらい順”

中共19大会政治局常務委員3  ただ、政治局常務委員の名簿だけは「画数順」でない。地位の高い順、すなわち“えらい順”である。

  今回の政治局常務委員の順序、すなわち“えらい順”は、習近平、李克強、栗戦書、汪洋、王滬寧、趙楽際、韓正である。並んで歩くときはこの順序で並ぶ。人々の前にすわったり、立ったりするときは、習近平さんを真ん中にしてこの順序で、習さんの左、右、左、右、左、右と立つ。

  視察だとか、外国要人との会見だとか常務委員のみなさんの行動をテレビなどで報道するときも、ことの重大さ、軽重の順序ではなく、この“えらい順”で報道される。

   すなわち政治局常務委員というのは一般の画数順序で取り扱ってはならない特別の地位なのだということを表している。


少ない女性の登用

  ところで“順序”とは関係ないことだが、中国共産党指導部の名簿を見て前々から感じていることだが、男女平等を主張する共産党にしては意外に女性の幹部が少ない。

   建国以来68年。中国では女性は職場、社会で日本とは比べものにならないくらい活躍して来たし、今もしている。女性の中から政治の中枢へ進出する人がたくさん出て来てもいいはずだが、余りいない。第15回大会までは、政治局委員に女性が選出されたことがない。

   2002年に開かれた第16回大会で、呉儀さんが女性としてはじめて政治局委員に選出され、第17回と18回に劉延東さんが選出された。劉さんは18回大会で常務委員になるのではないかといううわさもあったが、結局なられなかった。

  今大会では劉さんがおやめになって孫春蘭さんが選出された。やはり女性は一人だけである。

  では中央委員会ではどうかというと、今大会で選出された中央委員204人の内、女性は10人。中央委員候補では172人中19人。

  中央紀律委員会は133人中9人とやはり少ない。

  毛沢東主席は「天の半分は女性が支えている」と、女性の役割を高く評価していたというが、女性指導者選出ということで言えば、残念ながら毛主席のことばは無視されている。
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杜康酒

     杜康と言っても、杜康酒ではありません

       それは曹操《短歌行》に対する誤解です

日中協会・白西氏逝

白西氏2 去る10月10日、日中協会理事長の白西紳一郎氏がお亡くなりになった。

 新聞の報道で知った。

 氏のお名前は日中友好7団体についての報道などで存じ上げていたが、そのお考えやご活躍の様子、業績等についてはほとんど知らない。

 長く日中友好、日中交流に携わっていらっしゃったので新華ネットなど中国メディアも哀悼の意を表した報道がなされている。


やりきれない状況

 10月16日付、朝日新聞のコラム「風」に、古谷浩一中国総局長が哀悼の一文を書かれている。

朝日コラム2 白西氏は「時に毒舌で激しく、中国に厳しい注文を付けることもあったが、その視線は常にやさしかった」とし、「日本には日本の道理や事情があるように、中国には中国の事情がある。これを全く無視して付き合えるはずがない」とおっしゃっていたという。古谷さんは「そんな白西さんにとって、ここ何年かの日中関係は、何ともやりきれない気持ちになる状況だったようだ」とも書いておられる。

 白西氏が“やりきれない気持ち”になられたような状況を作り出したのは、日中両政府の度の過ぎたナショナリズムの政策や外交の所為でもあるが、日本の嫌中世論拡大も影響していると思われる。その嫌中世論拡大は、日本のマスコミの度はずれた反中報道の所為でもあるのではないか。中国にかかわるジャーナリストとして古谷さんはどうお考えになっているのだろうか、とコラムを読みながら思った。


杜 康 酒

 ところで、古谷さんの文章の中に気になったことがある。

 白西氏は「杜康酒」が大好きだったとのことで、古谷さんはコラムの最後に「悲報を受けた後、白西さんのために買っていた杜康酒の栓を一人で開けた。コップでぐっと飲む。強烈なアルコールが胃を刺した」と書いておられる。白西氏が好まれていたのは白酒の「杜康酒」のようだ。

 コラムの冒頭、古谷さんは「何を以てか憂いを解かん、唯だ杜康有るのみ」という曹操の《短歌行》の一節を挙げて、『「杜康」とは中国の古酒「杜康酒』と書いておられる。続けて『日本の「杜氏」の語源との説もある』と書かれているが、この書き方では「杜康酒」が「杜氏」の語源だということになる。それは少し違う。「杜康」は中国で初めて酒造りを行ったという伝説の人で、日本の酒造りで使われている「杜氏」という呼称は、杜康という人に由来するというのが正しい。

 さらに言えば、古谷さんは《短歌行》にある「杜康」を、古酒“杜康酒”のことだとされているが、これも少しおかしい。《唯だ 杜康有るのみ》の杜康は「杜康酒」をいう固有名詞ではなく、“酒”そのものを言ったものだという理解が一般的で、かつ正しい。詩のこの部分は 「唯だ“酒”有るのみ」 と理解するのが正しく、杜康酒を指したものではない。

  「杜康」ということばは、人名であり、酒の代名詞であり、またときには、杜康酒という酒をを示すことばである。要するに使われている文脈で判断しなければならない厄介なことばなのである。

 加えてもうひとつ、中国で白酒が作られるようになったのは諸説あるが、早くても元代で、白西氏が愛飲された白酒・杜康酒は曹操が活躍した漢代にはなかったので、《短歌行》と白酒・杜康酒を結び付けるのは飛躍しすぎているのではないだろうか。


田中首相の勘違い

 古谷さんはまた、白西氏が日中国交正常化45周年に関連して、かつて田中角栄首相が周恩来首相と交わした杜康酒のエピソードを思い出されていたのではないかと書かれているので、そのことにも触れたい。

 そのエピソードについては、以前私は自分のブログに書いたことがある。

杜康酒 1972年9月、北京の人民大会堂で行なわれた日中国交正常化を祝う大祝賀宴で、用意されたお酒は茅台酒だが、その席上、田中角栄首相が周恩来総理に「“天下の美酒、ただ杜康酒あるのみ”というが、私はまだ杜康酒を飲んだことがない」とおっしゃったという話しが伝わっている。

 周総理はすぐ河南省汝陽県の杜康酒製造元に連絡し、特別の航空便で取り寄せ、供した、という話もあるが真偽のほどははっきりしない。というより、周総理の要請があって酒を届けたというのは汝陽・杜康酒が宣伝のため創作したエピソードではないかと思う。

 当時のことを記したいくつかの中国側の資料では、田中首相と周総理のやり取りについてはこう述べられている。

 「周総理は(田中首相のことばに対して)『杜康は中国の酒神です。茅台酒も杜康の弟子の茅柴が作り出したものです。田中先生、まずこの酒(茅台酒)を飲みましょう。あなたがもう一度中国にいらっしゃったときには、杜康酒であなたを歓待しますよ』と応対された」

  こちらの方が正しいような気がする。

  この資料はまた次のようにも述べている。

「当時の杜康酒は小さな造り酒屋で、国の宴会で使われたことなどない。田中首相のご要望に沿うことは極めて難しかった。それで周総理のこういう発言になった」

 当時、杜康酒が名の知られていない地方の酒に過ぎなかったということは、先に創作エピソードでないかと言った汝陽・杜康酒取り寄せ説でも分かる。

  田中首相のご要望に応えて、今でこそ高速道路が通じているが、当時はすぐ飛んでいくということも出来ない河南省の辺鄙な田舎の汝陽の製造元から、わざわざ直行便で送らせてというのは大変なことで、それは周総理の心配りのすごさをあらわすものだが、同時にこの酒が北京ばかりか、河南省の鄭州や洛陽にさえもなかったというくらいの、マイナーな酒であったことを示している。

 そのような名もない酒を田中首相はどうして知っておられたのか。

 曹操の《短歌行》の、《何を以ってか憂いを解かん,唯だ杜康有るのみ。》という一節を、田中首相は何かで知り、うろ覚えに覚えていて、“杜康”を“杜康酒”と勘違いし、それで“天下の美酒、ただ杜康酒有るのみ”とおっしゃったのだろうと思う。ところがその “杜康酒” という名の酒が、小さいながらも現在あったものだから話がややこしくなった。周総理も判断に窮されただろう。田中さんは“杜康酒”があるのを本当に知っていておっしゃっているのだろうか、それとも曹操の詩を勘違いしていらっしゃるのだろうかと。それでとっさに先に挙げたようなしゃれた発言になったのだと思う。

 白西氏のことはよくわからないが、古谷さんは田中首相と同じで、短歌行と杜康酒に対して誤解があるようだ。

 重箱の隅をつつくようなことを言って申し訳ないと思う。テレビ朝日“相棒”の杉下右京を真似るわけではないが、「細かいことが気になるのが私の悪い癖」で、とりわけ中国白酒のことについては気になって仕方がない。

内蒙古コンサートで感じたこと

    いつも、ごく自然に

      心の中に民族意識

心が震えた

  先日、日中友好協会姫路支部の「内蒙古民謡コンサート」で、包海峰さんのホーミーを聞いた。

   あたりの空気を震わせるうなり声のような低い声と、あたりの空気を切り裂くような高い声を同時に発するホーミーに、神秘を感じた。

  心が震えた。

  低く、太い馬頭琴の音もいい。いつもとは違う空間に入り込んだような気持になった。


モンゴル族の国・地域

内蒙古コンサート3 包海峰さんが歌われる前に、出演者のひとりであるオリンタナさんが、ホーミーについて簡単な解説をされた。その中で彼女は、「いまモンゴル族が多く住んでいるのは、三つの国と地域です」とおっしゃった。

   一瞬私は、「えっ」と思った。
   「モンゴル国と内蒙古、それからどこだろう」。

   オリンタナさんは「中国内蒙古とモンゴル国・・」と言って少し間をおき、「ブリヤート」とおっしゃった。そして「これからお聞きいただくホーミーは、ブリヤートの歌です」と紹介された。

  包海峰さんが歌われたホーミーは 《Oltargana(小草)》 という曲だが、これはブリヤートの民歌なのだそうだ。


ブリヤート

  ブリヤートというのは第2次世界大戦後、多くの日本人兵が抑留されていたところということは知っていた。

  ロシア連邦の構成国で、バイカル湖の東側にある。モンゴル国の北にあり、国境を接している。住民はブリヤート人だが、ブリヤート人というのはモンゴル族の一部族だという。

恥ずかしながら・・

松重ブリヤード2 ことし7月、TBSテレビで、俳優の松重豊さんが案内役をする 「大シベリア5000キロ、~日本人が知らない餃子ロード~」 という放送があった。

  松重さんはその中でブリヤートのマクソホンという村を訪ねて、村で昔から食べられて来た“ブーザ”という餃子のような食べ物を紹介していたが、画面には村のおじさん、おばさんがたくさん出ていた。顔かたちが私たち日本人とそっくりなので、日本で出会ったら日本人だと思うだろう。

  松重さんもそう思われたようで、「親戚のおじさんの集まりにいるようだ」とおっしゃっていた。

  この人たちがブリヤート人で、ブリヤート人はモンゴル族で、ブリヤートはモンゴル族の国だということを、恥ずかしながらこのテレビを見るまで知らなかった。

  オリンタナさんの話を聞いて「あっ、そうだ」と、この番組を思い出した。


民族意識

内蒙古コンサート2
  オリンタナさんの解説からもう一つ気が付いたことがある。

  私たち日本人は、「人」の属性としてまず「国」を思う。“どこの国の人”、“何国人”なのかを考える。しかし外国の人と会うと、彼ら彼女らは往々にして民族を第一に問い、明確にしようとする。要するに「国」より民族を重視していることを知る。

  以前、中国、南疆鉄道でクチャに行った折、前の席に座ったおじさんに、「どこから来たのか」と聞かれた。「日本から来ました。日本人です」と答えると、「何族だ」と再質問されて弱ったことがある。

  「内蒙古民謡コンサート」のもう一人の出演者のナランフさんは、「私は小学校から大学までモンゴル語で学んだ。中国語は大学の第二外国語で勉強した」と自己紹介された。

   内蒙古は古くから中国領であり、もちろん漢族の住民も多い。ナランフさんの故郷はオルドスだという。私は陝西省にいたことがあるのでオルドスに何度か行った。ここにも漢族は多い。したがって日常生活で中国語を使うことは多いだろう。しかしナランフさんにとって、よく使っていても中国語は第二外国語としての位置なのだ。私はナランフさんの自己紹介に強い民族意識を感じた。

   お二人の話を聞いて、国籍は中国、法的には中国人だが、自分は本来モンゴル人なのだという意識が、ごく自然に、そしていつも彼女たちのアタマの中、心の中にあるのだということを、強く感じた。

共享 その二

    書中自ずから 黄金の屋 有り
          書 店 の 変 身
       
共享書店(シェア書店)

  シェア書店1 最近中国に、気に入った本があれば家に持って帰って読み、読み終わったら返せばいい、貸し出し料金はいりません、という本屋さんが出来た。

  “共享書店(シェア書店)”という。中国では大きな話題になっている。


冬の時代

  8月24日の朝日新聞は、『街の本屋さん、冬の時代』『「書店ゼロの自治体」が増えている』と、街の本屋さんが苦境に立たされ、深刻な事態が起こっていることを伝えている。

  本屋さんが苦境に陥っている原因の第一は人口減少のようだが、このご時世、書籍もネット販売、ネット購入が定着し、さらに盛んになっているその影響も大きいようだ。

  かつては本屋さん行くことを趣味のようにしていた私でも、最近本を買うのはもっぱらアマゾンで、本屋さんなどにはあまり行かない。


中国の本屋さん

  ネットによる書籍の購入が盛んになったために、本屋さんが苦境に陥っているというのは日本だけでなく、中国も同様である。

  中国ではいま、ひとりでも多くのお客さんにお店へ足を運んでもらうため、手を変え品を変え、いろいろと新しい形の書店造りが行われている。

  その試みの第一は大型商業施設への出店である。

  日本と同じで、中国の都市にはどこでも都心、副都心に大きなショッピングモールがある。最近はその中に誘致されたのか、自ら出店したのか大きな書店が必ずと言っていいほどお店を出している。

  大型商業施設と大型書店との連携は、集客という点で、双方に大きなメリットを生んでいるようである。

  第二は特徴ある、個性的な書店造りである。

  曲江書城2 最近、街にできる本屋さんは、お店の外見も内装も見栄えがよく、照明や書架のレイアウトも工夫され、実に居心地がいい。ここに住み着いてしまおうかと思うほどいい。先だって西安に行った帰りに上海に寄った。その折「鐘書閣」という本屋さんに行ったが、店内のおしゃれで、きれいなのに驚いた。

  
曲江書城 加えて、最近の本屋さんは豊かで質の高い時間が過ごせるように造られている。カフェが作られ、文具や雑貨の売り場があり、またお店の中には椅子が置かれ、書架から気に入った本を取り出してゆっくり読書ができるようになっている。

  日本の本屋さんでも椅子を置いているところはある。私のよく行く明石のジュンク堂も椅子は置いてあるが、書架と書架の間の通路に、長椅子が置かれているだけ。中国の本屋さんは違う。西安の大雁塔の南、曲江に、「曲江書城」という大きな本屋さんが最近出来た。先だって西安に行った折、一日、雨が降ったので、「曲江書城」に行って半日ゆっくり本を読んだ。椅子は背もたれ、ひじ掛け付きで、布張りの上等、書架の間などでなく、人があまり行き来しないところにおいてある。ゆったりとした気分で本が読めた。


合肥三孝口書店

  こうした新しいスタイル、新しいコンセプトの本屋さんが現れる中で、いま最も注目されているのが、ことしの7月16日、安徽省の省都・合肥にオープンした“共享書店(シェア書店)”「合肥三孝口書店」である。

  シェア書店2 この本屋さんは24時間書店として有名なお店だが、今回さらに新機軸の営業をはじめた。

  書店を経営しているのは、国有書店でいまも中国書店界では大きな力を持っている新華書店の傘下企業、“安徽新華発行グループ”である。

  この本屋さんは、販売価格150元以下の本なら、自分が読みたいと思った本を無料で自分の家に持ち帰って読むことが出来る。持ち帰りは1回2冊までで、期間は10日以内。

  参考のためにそのやり方を紹介すれば、まず、スマホに“智慧書房”というアプリをダウンロードし、名前や携帯電話番号などを登録。シェア自転車で紹介したオンライン決済システムの“微信支付(ウィチャットペイ)”に保証金99元をチャージする。登録が終われば、借りたい本のバーコードをスキャンして、スキャンしたスマホと本を店員さんに見せればOKで、本を持ち帰れる。

  貸し出し期限内に返却できなければ、1日1元が保証金から引き落とされる。その代わり、汚したり損傷したりせず、期限内に返却すれば1冊につき1元のボーナスが振り込まれる。さらに3カ月に12冊借り出し、きちんと返却すればお店は“奨学金”と言っているが、保証金の8%がボーナスとして保証金に振り込まれる。
  (以上、貸出、返却、奨励金等については2017・7・17 新華社:「安徽“共享書店” 共享読書生態圏を打ち立てる」の記事から)


共享(シェア)書店の目的

  曹傑1 読みたい本があれば家に持って帰って読み、指定の期日内に返却すればいい。お金はいらない。「これで本屋さんは商売になるの」「これでは図書館ではないか」という疑問を持たれる人は多いだろうと思う。

  なぜ“共享(シェア)書店”を開いたのか。安徽新華発行グループの曹傑会長は、7月16日の「三孝口共享書店開店発表会」で行ったあいさつで、概ね次のようにおっしゃっている。

   ① お客様の読書についてのコストを減少させる。
   ② より多くのお客様に、より容易に、より速く読みたい本を提供する。
   ③ いままでの本屋は、本を買ってお金を払えば、それでお店とお客様とのつながりは切れたが、共享書店はお客様とのつながりを継続する。また書店、出版社、お客様の間での情報の共有を図る。
   ④ お客様同士の交流を進める。
   ⑤ 書店の書籍の利用度を高める。


共享(シェア)書店がもたらすもの

  三孝口店の行列 具体的に、お客様にとってどのようないいことがあるのかということについて、曹傑会長はまた次のように言っておられる。

   ① “奨学金”や、期日内優良返却報奨金など経済的利益の提供。
   ② お客様に本を読むだけでなく、本について評論や感想を書き、他の読者と交流、討論する“場”を提供する。読書を自己満足から、新たな価値創造と価値の分かち合いに進化させたい。

  宋の真宗皇帝、趙恒が詠んだ≪励学篇≫の一節、「書中 自ずから 黄金の屋 有り」を実現する試みだとも言われる。


図書館との違い

  共享(シェア)書店と図書館はどこが違うのだ、と多くの人が疑問を感じられるのではないか、と思う。

  中国でもそういういう声は多いようだ。IT関係の“分析師という、中国ではよく知られている潘九堂という人は、中国版ツィッター“微博”に「自分は深圳図書館で、“借出証”をつくった。保証金100元で、1回10冊まで借りられる。また、街には地域の図書館がたくさんある。いつでも好きな時に好きなだけ借りられる」と、図書館の方が便利だと言って、言外に共享(シェア)書店の必要性に疑問を呈している。

  因みに日本の図書館では借出証に保証金などいらないが、中国ではどこの図書館でも必要で、もう10年以上前だが、陝西省図書館で私が「貸出証」を作ったときは30元だった。

  潘九堂さんは言う。「公共自転車、公共バス、公共トイレ、公共図書館。みんなシェア、すなわち共有、共用物ではないか。公共の二字がどうグレードアップすれば“共享(シェア)”になるのだ」

  シェア書店3 要するに中身は一緒ではないか、というのである。

  ネットでも図書館の方が蔵書が多い、貸し出し数や期間も長い、と図書館の肩を持つ人がたくさんいる。

  一方、図書館には新しい本がリアルタイムに入って来ないし、数も多くないとシェア書店の方をよしとする人もまた多い。

  ただ、インターネットによるサービスには大きな違いがあるようだ。

  図書館のネットサービスは “貸出・返却処理”、“貸出・予約状況検索”、“蔵書検索”、“行事告知” など図書館と利用者、市民を個別に結ぶだけものだが、シェア書店・三孝口書店のネットサービスは、書店と利用者を結ぶでけの単線でなく、利用者相互、あるいは出版社や執筆者などとのネットワークが作られている。また、書店の保有書籍の情報だけでなく、いまどういう本が注目をされているのか、どういう作家が人気があるのかなどなど、読書に関する様々な情報も共有することが出来る。ネットサービスでは三孝口書店の優位性があるようだ。“智慧書房”は単なる貸出用アプリでなく、かなり優れもののアプリなのだ。

  三孝口書店は図書館と違って、「以書識人(書を以て人を識る)」 「以書会友(書を以て友と会す)」 をめざしていると言われる。


儲けは・・・?

  図書館のようなことをやって儲かるのか、と言えば、それだけではもうからないだろう。しかし、借り出した本がいいので買いたい、と借り出しを購入に変える人も出て来るだろう。なによりも無料貸し出しをはじめたおかげで書店は門前市を為す盛況のようだから、本以外の儲けも上がっているかも知れない。

  ただ儲けるということから言えば、それも大したことはない。三孝口書店はもっと大きな儲けを考えているのだろう。

  開店発表会の、曹傑会長があいさつされている写真がそれを表している。

  シェア書店というプラットフォームの上に、顧客、出版社、執筆者、文化芸術の専門家などのネットワークを作り、書店だけでない、より大きなビジネスを考えているのではないか、と思う。

  新華社も「安徽・三孝口書店、共享読書生態圏を打ち立てる」と伝えているが、安徽新華発行グループは書店を中心としたビジネスエコシステムを進め、出版、書店のイノベーションを行おうとしているのだろう。

 三孝口共享(シェア)書店はその第一歩だろう。

共 享 その一

   デジタル ネットワークが生み出した
       新しい自転車文化

共享単車(シェアサイクル)

  先だって中国・西安に行った折、中国の新しい街事情を知った。

  シェアサイクル写真4 朝、泊まっていたホテルの裏通りを散歩していて気がついたのだが、歩道の木陰にカラフルな自転車がたくさん置いてあった。

  見ていると、近くのマンションから出て来た人が、その内の一台に乗ってどこかへ行った。かと思うと、今度はどこかから同じような自転車に若い男の人が乗って来て表通りの近くで降り、自転車をそのままにして大きなビルの方へ向かって歩いて行った。

  私の泊まったホテルの周りだけでなく、西安の街のいたるところに、これらと同じカラフルな自転車がたくさん放置されている。この自転車は何だろうと思った。個人持ちのものではないようだが、日本の街によく置かれている観光用のレンタル自転車でもなさそうである。付近にはそういうお達しや、使用案内などを書いた高札なども立っていない。

  この前西安に行ったのは2013年だったが、その時はこのような自転車は見なかった。

  その日の夕食の折、友人に「あの自転車は何なの」と聞いたところ、「共享単車」だという。中国語の共享とは “分かつ” 、あるいは “共有する” という意味のことばである。神戸に帰ってから調べたら日本のメディアは “シェアサイクル” と称している。要するに“共有自転車”なのだ。利用料は必要とのことだからレンタル自転車のようだが、詳しく聴いてみるとやはり日本のレンタル自転車とは違う。

  日本のレンタル自転車は置き場所が決まっていて、利用した後は所定のところへ返さなければならない。“共享単車”は、乗るときは言うまでもなくどこでも置いてあるものを勝手に乗って行けばいいので、これは日本と同じだが、用が済めばそこに置いておけばいい、要するに乗り捨て御免なのである。そこが日本のレンタル自転車とは違う。

  これらの自転車を所有し、運営しているのはお役所でない。すなわち公営でなく、民間企業の経営である。西安でも数社が行っているという。運営している会社によって自転車の色が違うとのことで、それでいろいろな色の自転車があるのだ。


利用方法と料金

  利用しようと思ったらどうするか、まずスマホにアプリをダウンロードして利用登録をし、保証金を支払い、利用料をチャージする。これで利用手続きが完了。

  シェアサイクル解錠 自転車を使うときはスマホを自転車のハンドル、あるいは後輪の泥除けについているQRコードにかざしてそれを読み取れば、ピピッと鳴って開錠する。

  目的地に着けば自転車を降りて施錠をする。それだけでいい。自転車から利用完了の信号が出て、スマホのチャージから、アマゾンと並んで世界的に有名な中国のIT企業アリババのオンライン決済システム 「支付宝(Alipay)」 か、中国SNS大手テンセントの決済システム 「微信支付(WeChat)」 に利用料が引き落とされる。

  共享単車に参入している企業は現在25社という。随分多い。その中で利用者が一番多いのは「摩拝(Mobike)」だそうで、保証金は299元(4800円)、利用料は30分が0.5元(8円)、少しグレードの高いサイクリング車のようなものは30分が1元(16円)とのこと。次に顧客が多い「小黄車(0f0)」は保証金が199元(3200円)、利用料は1時間・1元だそうだ。(円元レートは8月25日現在)

シェアサイクル写真2 保証金は契約解除の折返済されるとのこと。

  安い。地下鉄やバスよりうんと安い。

  待ち時間がない。表通りだろうと路地裏だろうと好きなところへ行けて、すきなところで自転車を置けばそれで返却完了、これはすごく重宝である。人気が出るはずで、ホテルに帰って百度百科で調べたところ、「2016年共享単車市場研究報告」によれば2016年末には1,888万人が登録しているとのことである。またその「報告」の予想によれば、登録者は2017年末には5,000万人になるだろうという。


自転車の衰退と復権

  改革開放が始まったころの中国は“自転車大国”であった。

  中国の大都市の大きな通りには、広い自転車専用レーンがある。1990年代中頃、西安の朝夕ラッシュ時は、どこの大通りの自転車専用レーンも自転車で埋まった。私は自転車の渋滞をて見て驚いたことがある。

  しかし2000年代に入って中国でもモータリゼーションが言われるようになり、自転車の影は段々薄くなった。一時、電動自転車が流行ったこともあったが、マイカーが増え、西安の幹線道路も裏通りもクルマの渋滞が常態化するようになった。

  ただ、自転車が廃れていく一方で、皮肉なことに世界的にも排気ガスの問題もあって都市での路面電車や自転車の効用が見直されはじめた。2007年、中国でも政府主導で自転車の活用プロジェクトが進められ、レンタル自転車が登場した。

  当初はレンタル自転車の利用者も増えたようだが、何分お役所仕事のこと、需要は大きいのだが自転車の整備が間に合わない、ということで、2010年ごろからは民間業者も参入して“官民合作”で取り組んだ。今度ネックになったのは駐輪場である。

  当時のレンタル自転車は、指定の場所に駐輪するする方式で、返却は駐輪場に持って行かねばならない。したがって駐輪場をたくさん整備しなければならなくなった。それが難しい。駐輪場の土地確保などで不正も行われたようで、思うようにはいかなかったようだ。


デジタル・ネットワークで新自転車文化

  「それなら好きなところで乗り捨てられるようにすればよい」、「料金支払いはネットで行うようにすればいい、集金も簡単」、「いま自転車がどこにあるかということはGPSで把握しよう」、というアイデアとプロジェクトが、初めは北京大学の学生の中から出て来て、大学構内で実施され、それが企業化され、市中に広まったという。

  シェアサイクル写真3 大胆な発想とデジタルネットワークの活用。さすが頭の柔らかい学生。それに民間企業が飛びついて、画期的な事業が瞬く間に広がった。お役人に任せていてはこうは行かない。

  ただ、「共享単車」も自由気ままな乗り捨てが歩行者の邪魔になったり、美観を損ねたり、故意の破壊が行われたり、とまだまだいろいろと解決しなければならない問題はあるようだが、利用者は先にも見たように急速に定着、拡大している。

  乗りたいときに乗り、降りたいところで降り、「ここに置いていたら盗られるんではないか」という心配もなく、「帰りにまたここまで来なければ・・・」という面倒もなく、いつでも気ままに使える自転車、しかも料金は安い。これはもう新しい自転車文化ではないかと思う。


もう一つの“共享”

  ところで、中国には最近もうひとつ新しい“共享”が生まれた。

  「共享書店」である。

  本屋に入って読みたい本があればお金は払わず、持って帰って読む。読み終わったら返す。そういう本屋さんができたのである。
  「それで本屋さんは儲かるの」、「それじゃ図書館とおなじじゃない」という声が聞こえて来そうな話である。

  いまこの“共享”が注目されている。紙数の都合でそのことは後日書く。
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yuzan0305

Author:yuzan0305
神戸生まれ、神戸育ち。おとこ。
第二の故郷は中国・西安。

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