旧正月
春 節
今年の旧暦のお正月は2月8日である。
中国ではよく知られているように“春節”といい、盛んに祝われる。
いま、中国ではどこのお家も春節の準備で大わらわだろう。また、“回家(帰省)”の人々で鉄道、バス、飛行機は超満員。鉄道の駅や長距離バスのターミナルは“人山人海(人がいっぱい)”、見ただけでめまいがするほど人波で埋めつくされているだろう。
街にはまた春聨や赤い提灯、あるいは爆竹や花火を売る店が軒を連ね、というか屋台を並べてにぎやかだろうと思う。
西安の友人から早々に年賀カードが届いた。今年は西安は寒いという。年賀カードには「今日の最低気温は零下5℃です」とあったが、ネットで西安の気温を調べてみると1月31日の西安の最低気温は零下16℃。町中がカチンカチンに凍っているような感じである。
沖 縄
旧暦のお正月は中国では台湾も祝う。ほかの国では韓国とベトナム、モンゴルが祝う。国民の中に中国人がたくさんいるマレーシアやシンガポールも祝うようだ。
先日、テレビをつけたら、漫才の博多華丸さん、俳優の六角精児さん、タレントのおのののかさんの3人が沖縄を訪ねている番組をやっていた。その番組の中で沖縄の人が「旧正月にはご馳走してお祝いするんだ」ということをおっしゃっていて、おやおやと思った。恥ずかしながら、沖縄ではいまも旧正月を祝っていることを知らなかった。
祝わなくなった旧正月
私の両親の故郷は備中の田舎。瀬戸内に浮かんでいる島である。もちろん、島ではいまは旧正月などしない。戦争中、私は戦火を逃れてそこに疎開させられ、戦後も一時その島にいたが、その頃はお餅をついたり、お煮しめを作ったりして旧正月を祝っていた。私が居た島だけでなく、周りの島々も旧正月を祝っていた。しかし、いつのころからか祝わなくなった。どうも昭和30年代に入り、高度成長期になって若者が島を離れ、年寄りだけ残ってひっそりと畑仕事をするようになってから、続けられなくなったのではないかと思う。
いま、農村も含めて国中が都会化している日本では、旧正月など祝うところはない、と思っていた。沖縄で旧正月を祝っていることを知ってちょっと驚いたが、同時にちょっとほっとした気分になった。
苦い思い出
西安で勉強していたころのことである。ある日、仲良しだった金淑香に誘われて、数人の韓国人クラスメートと一緒に学生食堂に昼食に行った。私たちのいるテーブルに、日ごろよく交流していた中国人の本科学生が4,5人やって来て食事の輪に加わった。
中秋節前だったので話がそっちの方向に弾み、中秋節には何を食べるかとか、どこに行くかとかいろいろ風習や思い出に話の花が咲いた。
話が佳境に入って「奥野同学、日本はどう?何を食べる、どこに行く?」と、みんなの興味が私に向いて来た。
「日本では一般的に中秋節はしない」と、私はたどたどしい中国語で答えた。中国、韓国、日本の学生が集まると、共通語は中国語である。
「あら、そう・・」ということで私をおいて話が続き、今度は春節に話が行った。やはり春節の食べ物、行事、思い出などが話題になって、心配した通り今度も私に話の矛先が向かって来た。
「奥野同学、日本はどう?何を食べる、どこに行く?」
「日本では一般的に春節はしない」と、答えた。
本当は、「日本は明治以降公式には太陽暦が使われ、徐々に旧暦による風習や行事は廃れて行った。それでも田舎に行くと旧正月を祝うところはたくさんあったようだが、戦後、とくに昭和30年ごろから田舎でも旧暦による祭事はまったく行われなくなった。だからそういうことについての思い出はほとんどない」と言いたかったのだけれど、そういう複雑なことは中国語で言えない。やむなく「春節はしない」という木で鼻をくくったような答えをせざるを得なかった。
親友の金淑香はあきれたような顔をして私を見た。他の韓国学生や中国人学生は、愛想をつかして相手にしてくれなくなった。不愛想な男だと思ったかもしれない。
私はいつも日本人の名誉だとか、評判だとかを意識しながら行動しているわけではないが、後日、あの時は日本人の評価を下げることをしたな、と反省した。にがい思い出である。
希薄になった人々の関係
日本の近代化というのは、過去をすっかり否定してしゃにむに西洋化を目指したもの、という気がしてならない。それは明治の御一新だけでなく、15年戦争後もそうである。15年戦争後はむしろアメリカ化に現を抜かしたというべきかも知れない。国の指導者たちが、アジア的なものを遅れたものと否定的に考えていたためであろう。
その点中国、韓国、モンゴル、ベトナムなどのアジア諸国は違う。近代化しながらも伝統的な風習、生活を大切にしている。
日本は最近、地域の共同体的関係が希薄になり、家族関係もまた希薄になりつつある。その結果、旧正月だけでなくいろいろな古来の習慣、風俗もまたなくなって行っている。そしてそういう古来の習慣の喪失がまた、共同体と共同体意識、家族関係の崩壊を加速させているような気がする。
沖縄で旧正月を祝っていることにほっとしたものを感じたのは、沖縄の人たちが、昔からの土地にしっかり足をつけて生きていることの証しをみたような気がしたからである。
今年の旧暦のお正月は2月8日である。
中国ではよく知られているように“春節”といい、盛んに祝われる。
いま、中国ではどこのお家も春節の準備で大わらわだろう。また、“回家(帰省)”の人々で鉄道、バス、飛行機は超満員。鉄道の駅や長距離バスのターミナルは“人山人海(人がいっぱい)”、見ただけでめまいがするほど人波で埋めつくされているだろう。
街にはまた春聨や赤い提灯、あるいは爆竹や花火を売る店が軒を連ね、というか屋台を並べてにぎやかだろうと思う。
西安の友人から早々に年賀カードが届いた。今年は西安は寒いという。年賀カードには「今日の最低気温は零下5℃です」とあったが、ネットで西安の気温を調べてみると1月31日の西安の最低気温は零下16℃。町中がカチンカチンに凍っているような感じである。
沖 縄
旧暦のお正月は中国では台湾も祝う。ほかの国では韓国とベトナム、モンゴルが祝う。国民の中に中国人がたくさんいるマレーシアやシンガポールも祝うようだ。
先日、テレビをつけたら、漫才の博多華丸さん、俳優の六角精児さん、タレントのおのののかさんの3人が沖縄を訪ねている番組をやっていた。その番組の中で沖縄の人が「旧正月にはご馳走してお祝いするんだ」ということをおっしゃっていて、おやおやと思った。恥ずかしながら、沖縄ではいまも旧正月を祝っていることを知らなかった。
祝わなくなった旧正月
私の両親の故郷は備中の田舎。瀬戸内に浮かんでいる島である。もちろん、島ではいまは旧正月などしない。戦争中、私は戦火を逃れてそこに疎開させられ、戦後も一時その島にいたが、その頃はお餅をついたり、お煮しめを作ったりして旧正月を祝っていた。私が居た島だけでなく、周りの島々も旧正月を祝っていた。しかし、いつのころからか祝わなくなった。どうも昭和30年代に入り、高度成長期になって若者が島を離れ、年寄りだけ残ってひっそりと畑仕事をするようになってから、続けられなくなったのではないかと思う。
いま、農村も含めて国中が都会化している日本では、旧正月など祝うところはない、と思っていた。沖縄で旧正月を祝っていることを知ってちょっと驚いたが、同時にちょっとほっとした気分になった。
苦い思い出
西安で勉強していたころのことである。ある日、仲良しだった金淑香に誘われて、数人の韓国人クラスメートと一緒に学生食堂に昼食に行った。私たちのいるテーブルに、日ごろよく交流していた中国人の本科学生が4,5人やって来て食事の輪に加わった。
中秋節前だったので話がそっちの方向に弾み、中秋節には何を食べるかとか、どこに行くかとかいろいろ風習や思い出に話の花が咲いた。
話が佳境に入って「奥野同学、日本はどう?何を食べる、どこに行く?」と、みんなの興味が私に向いて来た。
「日本では一般的に中秋節はしない」と、私はたどたどしい中国語で答えた。中国、韓国、日本の学生が集まると、共通語は中国語である。
「あら、そう・・」ということで私をおいて話が続き、今度は春節に話が行った。やはり春節の食べ物、行事、思い出などが話題になって、心配した通り今度も私に話の矛先が向かって来た。
「奥野同学、日本はどう?何を食べる、どこに行く?」
「日本では一般的に春節はしない」と、答えた。
本当は、「日本は明治以降公式には太陽暦が使われ、徐々に旧暦による風習や行事は廃れて行った。それでも田舎に行くと旧正月を祝うところはたくさんあったようだが、戦後、とくに昭和30年ごろから田舎でも旧暦による祭事はまったく行われなくなった。だからそういうことについての思い出はほとんどない」と言いたかったのだけれど、そういう複雑なことは中国語で言えない。やむなく「春節はしない」という木で鼻をくくったような答えをせざるを得なかった。
親友の金淑香はあきれたような顔をして私を見た。他の韓国学生や中国人学生は、愛想をつかして相手にしてくれなくなった。不愛想な男だと思ったかもしれない。
私はいつも日本人の名誉だとか、評判だとかを意識しながら行動しているわけではないが、後日、あの時は日本人の評価を下げることをしたな、と反省した。にがい思い出である。
希薄になった人々の関係
日本の近代化というのは、過去をすっかり否定してしゃにむに西洋化を目指したもの、という気がしてならない。それは明治の御一新だけでなく、15年戦争後もそうである。15年戦争後はむしろアメリカ化に現を抜かしたというべきかも知れない。国の指導者たちが、アジア的なものを遅れたものと否定的に考えていたためであろう。
その点中国、韓国、モンゴル、ベトナムなどのアジア諸国は違う。近代化しながらも伝統的な風習、生活を大切にしている。
日本は最近、地域の共同体的関係が希薄になり、家族関係もまた希薄になりつつある。その結果、旧正月だけでなくいろいろな古来の習慣、風俗もまたなくなって行っている。そしてそういう古来の習慣の喪失がまた、共同体と共同体意識、家族関係の崩壊を加速させているような気がする。
沖縄で旧正月を祝っていることにほっとしたものを感じたのは、沖縄の人たちが、昔からの土地にしっかり足をつけて生きていることの証しをみたような気がしたからである。
“瑞雪兆豊年” 大雪の西安・大雁塔
(写真は中国・西部ネット)
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